おはようございます!
【 Sax-Fan サックス・ファン 】 の瀬尾です。
今号も、前号の続きということで、
少し音楽の話からは離れますが、
瀬尾が何を考えているのか、
そんなところを感じて頂ければと思います。
では、よろしくお願いします。
不特定多数
前号の話の中で、
「不特定多数」という言葉も出てきました。
私自身が Web ページを作成することもあり、
アクセスを考えた時に、この、
「不特定多数」
ということを意識することが多いのです。
前号でもお話しましたが、
「不特定多数」というのは、
広い範囲を含んでいます。
公的機関のサイト等を見ていると、
一番、この「不特定多数」ということを
意識していないといけないのに、
充分に対応がなされていないところが
多いんですね。
目の不自由な方は、
スクリーン・リーダーというんですが、
読み上げるためのソフトを使用しています。
画像等も見えないですし、
どこに何があるか、配置だって分かりません。
全ては文字からの情報しかないんです。
その、文字によるインデックスの配置が不適当だったり、
色々と分かりにくいところがあるんですね。
私の嫌いな言葉の一つに、
「バリア・フリー」があります。
一見優しそうな言葉ですが、
この言葉の裏には、
「健常者とそうでない人」という線が見えます。
例えば、公的機関の様に、
不特定多数の人が出入りするところでは、
お年寄りや子供や車椅子の方や杖をついた方や
眼の不自由な方や耳の不自由な方や国外の方や、
それこそ様々な人が出入りします。
そういうことを想定して、
建物を含めて、全てがデザインされていて
当たり前なんです。
そうです。
そこが、「当たり前」のラインです。
車椅子の方を、
わざわざ迂回させる必要があるでしょうか。
普通に歩ける人も車椅子の人も杖の人も、
同じところを通ればいいんです。
その様にデザインすべきなんです。
「この建物は、バリア・フリーです。」
なんて、恩着せがましいこと、
よく言えたもんです。
個人の家ならいいですよ、
年齢に応じてリフォームすればいいんです。
でも、不特定多数が出入りするところで、
こんなことをやっているようじゃ…。
当たり前のことを当たり前にする、
それだけのことなんです。
役所や銀行でもそうですが、
手続きに訪れた人に、
「○○さ〜ん」なんて呼んでいますが、
耳の聞こえない方は、
常にそこの人の口を見て、
注意しておかなくてはいけません。
自分が呼ばれたのかどうなのかって。
なんでお客に気を使わせるのでしょう。
ちょっと仕組みを変えれば
いいだけのことです。
表示されたナンバーが再度点滅するとか、
リモコンの呼び出しでバイブレイトする、
携行するようなものをそれぞれに渡して、
声掛けと共に、
呼び出しをしている人のものを振動させれば、
どこに居ようがどこを向いていようが、
誰だって同じように分かります。
考えればどうにでもなるはずです。
どうして、「健常者」中心に考えるのでしょう。
「健常者」という言葉もなんですが。
「不特定多数」ということを考えれば、
何てことないと思うんですが。
人に気を使わせないような配慮が、
どうも足りないように思います。
話を音楽に戻しますが、
音楽で、人に伝えようとした時、
いわゆる言葉ではない、
音によって伝えないといけません。
ですが、かなり言葉に近いものではないでしょうか。
音に気持ちを乗せるには、
まず、自分がしっかり
イメージしていないといけません。
イメージもそうですし、
アイデアにしてもそうですが、
日頃からの多量のインプットがあってこそ、
出てくるもんだと思います。
日常の様々なことから、インプットはできます。
そして、それらに対して、
自分の意見や考え方や感情や感覚や、
そういったものをはっきりさせていくことが、
大事だと思います。
そこから広がりを持てば、
きっと、音も変わってくるでしょう。
音楽は、「音楽」だけではないんです。
私が日頃考えているようなことを、
書いてみるのもいいかなと思い、
となれば、文章量が多くなるので、
右側の欄から、こちらの枠で、
書いてみた次第です。